阪堺電車『綾ノ町』のお隣、『妙國寺前』駅です。
こちらは名前の通り、『妙國寺』の最寄り駅。(徒歩15分くらいはかかったイメージが…。)
妙國寺駅前には、『堺伝統産業会館』、『肉桂餅』が有名なお店、『妙國寺』があり、別枠で記事にいたしました。(弾丸的に行ったので時間の都合上、他には行っていないのですが、妙國寺の魅力はまだまだあると思います!)
堺伝統産業会館
『堺伝統産業文化会館』の建物は、大きな包丁のモチーフがくっついている建物!
少しびっくりしました。
堺は堺刃物といって、包丁がとっても有名な地域。
ですが、包丁だけではなく、日本の港を行き来して貿易していた北前船でもたらされたもの、歴史、他の伝統産業が集まっている会館。
包丁を始め、お線香、堺緞通(だんつう)という織物、他食品などが販売されており、堺の歴史ミュージアムもありました。
ちなみに包丁も研いでもらえるコーナーがあって、地元に住んでいる人たちが羨ましいと思いました。
八百源
堺伝統産業会館から大きな道を渡り、進んでいきますと、『八百源』さんという和菓子屋さんがあります。
江戸時代あたり、この辺りはこのような建物ばっかりだったのかなぁっと想像するような建物。
ガラガラっと扉は横に開けるのがまたワクワクできるところ。
お店はとても小さいスペース。
※光の加減で、綺麗に撮れませんでした;
こちらの和菓子屋は、『肉桂餅』で有名な『八百源』さん。
ニッキのふわふわのお饅頭?お餅でここの肉桂餅に病みつきになる方が多いのがわかります。
とても上品、包みも上品なので、どなたかへの贈り物にすると、とても喜ばれると思います。
織田信長が持ち帰った蘇鉄『妙國寺』
八百源から徒歩2.3分のところにあるのが『妙國寺』。
開基は阿波国(四国)の三好義堅(実休)。
当時は東西3町南北5町(1町110m程)の敷地だったそうです。
妙國寺の周りには刃物屋がポツポツとあったそうで『妙國寺のお参りの帰りは刃物を買って帰る。』
というのが当時のスタイルだったようで、時代は明治〜昭和になりますが、
実は堺出身の歌人、与謝野晶子さんもそのような話を残されているようです。
こちらが本堂。
この中には大蘇鉄があり、
織田信長が気に入って、この土地からこの大蘇鉄を引っこ抜き、持ち帰った事があったそうですが、
その大蘇鉄が毎晩『帰りたい』と泣くので、(泣くというのは風が吹くと蘇鉄の葉がガサガサ鳴っていた音の事ではないかと今では考えられている)、
その声が奇妙で、この大蘇鉄を斬りつけたら、赤い樹液が出てきて、それがまた血のように見えたらしく(というのも蘇鉄の樹液は酸化すると赤くなるらしく)、
信長がうなされたそうで、最終的には大蘇鉄はこちらの妙國寺の土地にまた戻されたとのこと。
大蘇鉄はこの地に帰ってくることができたそうなのです。
そんな織田信長公の大蘇鉄物語があり、その大蘇鉄はこの本堂内、中庭にあるので、中庭には入れないですが、見物することができ、
千利休や徳川家康、豊臣秀吉が来たというお話も伺うことができました。
妙国寺は皆様に愛されていたのですね。
その他、時代は変わって、『堺事件』という、当時この辺りの警護に当たっていた土佐藩士が、
フランス人が船で来たときに、(実は開国されていたのに)まだ開国していないと聞いていた為にフランス人を殺傷してしまった。
そのような痛ましい事故がありました。
フランス側は日本側も処刑されることを要求し、
その時の土佐藩士11人が自害することとなったのです。
それがこちらの妙国寺の境内で行われ、当時の遺品は本堂に保管されています。
実際に処刑が行われた場所は、妙國寺入り口を出た迎え側、この石碑があるところで行われました。
妙國寺本堂ですが、本堂の受付の場所が最初わからず、5分ほどウロウロしてしまいました。
本堂の下が入り口です。と看板があるのですが、この本堂の写真の階段と階段の間をまっすぐ進むと自動ドアがあります(本堂1階)。
そこを開けてみるとすぐに受付なので、入りにくいかもしれませんが、真っ直ぐ進んで大丈夫です。
拝観時間:10:00-16:30
休館日:年末年始
拝観料:大人400円
(2018年時点)
以上、妙國寺駅レポでした。
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