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京阪三条から京都御苑までを歩いて幕末の時代にタイムスリップする旅

京都市

「京阪三条から京都御苑まで歩いてみよう!」

通常であれば2㎞ほどで到着するルートですが、京都御苑沿いも一周し、5㎞ほど歩きました。

何気に歩いていただけですが、幕末の志士たちの石碑に数多く出合った散策でした。

景色は現代の京都なのに、まるで幕末の時代にタイムスリップしたかのような面白い道。

今回は、散策で出合った石碑を中心に紹介します。正直、石碑ばかりなので、景色を見て旅行を楽しみたい人には向いていないかもしれません。

しかし歴史好きな人にとっては、歩きながら、激動だった幕末から明治への移り変わりが身近に感じられるウォーキングルートだと感じています。

佐久間象山・大村益次郎遭難之碑

京阪電車三条駅12番出口を出た先に見える御池大橋を渡り、木屋町通を北方向(進行方向右)にまっすぐ進みます。

すると左側に流れる高瀬川沿いに佐久間象山・大村益次郎遭難之碑が見えてきます。

ここは、幕末期の思想家で、勝海舟や吉田松陰らを育成したと言われる佐久間象山が暗殺された地です。

この事件は、戊辰戦争が起こる3年半前、幕末の1864年7月におきました。

その5年後、1869年9月に「日本陸軍の父」と呼ばれた大村益次郎が刺客に襲われた地でもあります。

※戊辰戦争は、この間におきた日本最大の内戦(1868年1月~1869年5月)

《三条大橋から向かうとさらに多くの石碑に出合える》

京阪三条駅の7番出口を出ると「三条大橋」があり、渡った先を少し歩くと、池田屋跡石碑があります。

また木屋町通りの三条大橋から御池大橋まで、200mほどの間に見られる石碑は以下の通りです。

・武市瑞山(半平太)萬居の跡碑
・吉村寅太郎萬居の跡碑
・桂小五郎萬居の跡碑
・佐久間象山萬居の跡碑

木屋町通りは、倒幕派・佐幕派問わず多くの藩邸がひしめき合う、志士たちの活動拠点となっていたそうです。

高瀬川一之船入

高瀬川は、伏見と二条をつなぐ目的で、1611年頃に角倉了以(すみのくらりょうい)が開いた運河です。

船入とは高瀬舟の荷物の上げ下ろしや舟の方向転換をするための船溜所だったとのこと。

当時は船入が8ヶ所ある物流の要だったそうです。

また、池田屋事件に遭い、脱出できた望月亀弥太(もちづき かめやた)は、一之船入付近まで逃げましたが、もはやここまでと自害した場所でもあります。

島津製作所 創業記念資料館

一之船入の目と鼻の先に、島津製作所があります。

丸に十字のマークと「島津」という名に、薩摩藩主の島津家と関係があるかと思いましたが、血縁関係はないそうです。

時代は幕末よりもさかのぼり、「戦国時代に薩摩の武将だった島津義弘公」が「島津製作所創業者の祖先に、島津の姓と、丸に十字の家紋を贈られた」のだそうです。

久坂玄瑞・吉田稔麿等萬居跡

さらに歩くと法雲寺を通りがかりました。

すると、こちらにも石碑が。

ここは、吉田稔麿と久坂玄瑞など長州藩士の寓居跡となっています。

吉田稔麿は1862年7月から8月まで、久坂玄瑞は同年8月から9月にかけて、法雲寺で謹慎生活を送っていました。

その後、吉田稔麿は池田屋事件(1864年7月)で討死し、久坂玄瑞は蛤御門の変(1864年8月)で自刃したのです。

木戸孝允邸跡

久坂玄瑞・吉田稔麿等萬居跡から一本目の道を右に曲がり、また曲がります。

すると、出てくるのが木戸孝允(桂小五郎)邸跡の石碑です。

なんと3箇所見つけました。

こちらの木戸孝允邸は、近衛家の下屋敷を譲り受けて別邸となしたものだそうです。

この辺りに広い木戸孝允邸があったのだろうとイメージしながら歩けます。

聖アグネス教会

木戸孝允邸跡から京都御所がある京都御苑の方向へ。

京都御苑を外から眺めながら一周してみると、丸太町駅あたりから素敵な洋館も交わる景色に変わります。

こちらの建物は、京都で最も古い教会建築のひとつとされる、明治中期に建てられた聖アグネス教会です。

迫力があり、美しい。

聖アグネス教会の手前には「菅原道真公の初湯の井戸」がある菅原院天満宮神社があります。

菅原道真というと平安時代へと時代はさかのぼります。

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時代や異文化が交差し合い、一瞬、頭が混乱しますが、それが京都の魅力のひとつでもあります。

水戸藩邸跡

聖アグネス教会から、直進し、5分ほど歩くと水戸藩邸跡があります。

実は水戸藩邸の歴史は、古く、1686年にはあったという記録があるのだそうです。

ここでは主に、日本の歴史書である「大日本史」編集事業の拠点になっていました。

編集は、幕末まで継続されていたとのことです。

水戸藩邸跡の向かい側には、イノシシがたくさんいる護王神社があります。

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二條家邸跡

水戸藩邸跡から直進し、烏丸今出川の交差点に向かうと同志社大学があります。

京都御苑と同志社沿いにしばらく歩くと、同志社女子中学・高等学校のフェンスに隠れて、二條家邸の井戸があります。

同志社側のフェンスをよく見ておかないと見逃すかもしれません。

さらに数十メートル進むと二條家邸跡の石碑があります。

《烏丸今出川の交差点近くには薩摩藩邸跡も》

ちなみに、二條家跡に行くまでに、薩摩藩邸跡もあります。

烏丸今出川の交差点の少し先なので、余裕がある人はぜひ立ち寄ってみてください。

西郷隆盛邸跡

二條家邸跡のほど近くに、西郷隆盛邸跡があります。

ここで、西郷隆盛は、西郷従道ら3人の弟、2人の甥、大山巌たちと同居していたそうです。

その後、明治後期に、ノーベル賞を受賞した湯川秀樹が1年ほど滞在していたと言われています。

三條家(三條實美)旧邸:梨木神社

現在は梨木(なしのき)神社になっているこの地付近に、三條實美の旧邸がありました。

春の新緑、秋の紅葉がとても美しく、季節になるとカメラを持った参拝者が目立ちます。

梨木神社は、明治初期に三條實万を祭神として創建し、大正初期に三條實美を合祀した神社です。

両公は親子で明治維新に功績を残し、知と行動を兼ね備えた学問の神様として信仰されています。

三條實美の葬儀に参列できなかった、当時の京都府知事であった北垣国道(きたがきくにみち)が立てた碑が、神社境内にあります。

京阪三条駅から京都御苑までの散策道

京阪三条駅から京都御苑周辺を歩く今回のルートは、現代の街並みの中に幕末の歴史が色濃く残る、歴史好きにはたまらない散策コースでした。

木屋町通を中心に、歩きながら、激動の時代に思いを馳せることができます。

また、島津製作所創業の地や聖アグネス教会など、幕末だけでなく平安や戦国、明治などさまざまな時代が交差するのも京都ならではの魅力。

石碑中心の少し渋めなルートではありますが、歴史を身近に感じながら歩きたい人にはおすすめのウォーキングコースです。

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