大阪府の枚方市は、大阪の北部に位置し、淀川が流れ、その昔、京街道沿いの『枚方宿』として栄えていました。
枚方宿は京阪電車の『枚方公園駅』と『枚方市駅』の間にあります。
この日は、『枚方公園駅』から『枚方市駅』を目指して歩きます。
っと行っても、どこも寄らずにただ歩くだけなら15分ほどで着いてしまうほどの距離です。
くらわんか餅
枚方公園に着いたら、まずは枚方宿名物『くらわんか餅』を買いに、京街道とは逆の方向にある『巴堂』さんへ向かいました🎶
小さな和菓子屋さんですが、この地域でしかあまり見ないであろう名前の和菓子がたくさんありました。
では枚方宿の方に向かいます。
枚方宿は枚方公園駅から徒歩5分、この、巴堂からは徒歩10分以内で着きます。
さっきの巴堂さんで、迷った結果、
『くらわんか焼き餅』というものに。
『くらわんか餅』が有名だそうですが、食べ歩きと考えたときに『くらわんか焼き餅』の方が食べやすそうだったので(笑)
『焼き餅』の方は歯触りが良い感じでした。
鍵屋資料館
京街道・枚方宿に入ると、古民家を利用したお洒落なお店がいくつも目に入ります。
こういうお店を巡るというのも楽しそうです。
そして、この写真は『鍵屋』という、江戸時代、宿屋として栄えた建物です。
今は『資料館』となっており、中を見学することが、できます。(有料200円/人・2019年時点)
『鍵屋資料館』では、『くらわんか文化』とはどのようなものなのかと言うこともわかりやすく発信されていました。
こんな小舟に乗って、行き交う舟に近づいていき、舟を叩き、「餅くらわんかー?」「酒くらわんかー?」「ごんぼ汁(ごぼう汁)くらわんかー?」と荒々しく押し売りをしていたそうです。
イメージ映像を見て、一瞬引いてしまったのですが、それも文化!
しかも徳川家康公がその商法を許していたそうで、(理由は豊臣軍と戦った大阪夏の陣にて枚方宿が徳川家康の味方になっていたからということだそう。)
この辺りでは、自信を持ってこのオラオラ系手法の商売をやっていたそうです。
淀川
そんなくらわんかの文化を学び、京街道を進むと、淀川の河川敷に繋がる階段があるので、上がります。
信号を渡ると淀川の河川敷の公園があります。
天気が良ければここでお弁当、なんかも良さそうです。
淀川の左方面を進むと大阪市内の方へ。
右方面を進むと京都です。
昔話ですが、
象が初めて日本に来た際の、象道中の注意事項の資料が面白く、メモしてきました。
歩いていて渡れない川は船を用意すること。
坂道‥雨天の場合、坂道は滑らないように砂を敷くこと。
路面 ‥石の多いところは取り除くこと。
牛馬犬猫‥象が驚いて暴れるので、道路から遠ざけておくこと。
看板提灯‥道筋の障害物は撤去しておくこと。
見物人 ‥近寄らず、騒がないように注意すること。
へぇ!
象がとても大切に迎えられていることがわかる内容に思います。
五六市
この辺りでは毎月第二日曜日に『五六市』というマーケットが開催され、1kmに200店の出展があり、大変賑わうそうです。
昔このあたりで、メクラ市、という、夜に暗闇で行われる市があり、
暗闇で、見えないので、買ったものに当たりも外れもあったという、
聞いた感覚では、くじ引きみたいな、やはり荒いイメージ(笑)の商売があって、
そういうものも残していきたいということで、
五六市というのを開催されたそうです。
今年(2018年)で、13年目、やっと名が知れ渡ってきたという感じだとか。
五六市の名前は、この場所、『枚方宿』が東海道の56番目の宿場町となることからこの名前が名付けられたそうです。
くらわんか茶碗
枚方のくらわんか文化で実際に使われていた『くらわんか茶碗』と呼ばれる茶碗。
写真の手前の方の浅いお皿が当時使われていたくらわんか茶碗。
枚方近辺で作られているお茶碗なのかと思えば、なんとこのお茶碗は、九州、長崎県の波佐見焼でした。
淀川は京都に続いていて、多くの人やモノが行き交う川でした。
そこで、枚方宿では長崎県からの波佐見焼が流通していたとのこと。
この写真は、この地域で300年ほど、代々続いている塩屋の塩熊商店さんで撮らせていただきました。
今はお塩も扱っていらっしゃいますが、くらわんか茶碗でもある波佐見焼やこだわりを持った職人さんたちが作るものを販売されています。
お塩もこだわりを持って作っていらっしゃるお店のお塩ばかりで、お話を聞きながら商品を選ぶのがとても楽しいお店でした。
もうこのお店まで来たら、あと数分で京阪の枚方市駅が見えてくるという流れです。
他にもお店はいろいろとありますので、いろいろ見ながら歩くことができる枚方宿でした。
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