九州は大分県にあります臼杵(うすき)市。
本州からだと飛行機で『大分空港』まで行ってしまうのが、一番早いと思います。
電車だと、新幹線で福岡県の『小倉』まで行き、そちらから、乗り換え、別府温泉の『別府』まで行き、JRの日豊本線に乗り換えて『臼杵』駅へ。
『大分』駅を通り過ぎ、更に11駅ほど。
少し距離があり、50分前後で到着します。
また『臼杵』は港町でもありますので、四国・愛媛県の『八幡浜』の港からフェリーも出ており、
こちらのフェリーに乗ると、2時間15分ほどで臼杵に到着しますので、とてもラクに行けます。
『八幡浜』の駅から港まで徒歩では20分、八幡浜も愛媛の端の地域なので、八幡浜の方が行きやすいのかが問題ですが、ここから行くのもアリだと思います。
私自身は今回、臼杵までフェリーで行ったため、フェリーターミナル方面から進んだレポートとさせていただきます☆
臼杵フェリーターミナルより、臼杵のまちへ歩く
臼杵フェリーターミナルに到着し、臼杵城跡まで、歩いて行けるとのことだったので、歩いて目指す。
この道をひたすらまっすぐ進むと臼杵城跡に到着します。
今の道をまっすぐ進むと『万年渓』と呼ばれる川の河口にかかる橋があり、ここを渡ります。
橋を渡ったあたりに出てくるのが『臼杵みなと市場』。
こちらでは豊後水道でとれた魚介を提供してくれるお食事処で、私が行った時間は少し早い時間でしたので、伺えていないですが、チラシをもらって見た感じは、良さそうです。
フェリーでお越しの際など、時間が合えば少し寄ってみてはいかがでしょうか。
臼杵城跡
臼杵城は、臼杵フェリーターミナルから歩いても、臼杵駅から歩いても15分20分で着き、どちらかというと臼杵駅から歩いた方が若干近いかなという感覚の場所にあります。
フェリーターミナルから歩いてきましたので、臼杵城跡には、こちらの裏口のような螺旋階段を登り入りました。『二の丸跡』と『本丸跡』がありますが、こちらの螺旋階段を上がった場所は『本丸跡』に繋がります。
臼杵城は、大友義鎮(宗麟)が築城した城。
大友義鎮はキリシタン大名として知られています。
大友氏代々の本拠地は、現在の大分市(大分市は臼杵市の隣の市)でしたが、より一層の安全をはかるために臼杵城に移ったとの歴史があります。
当時、臼杵城は『丹生島城』と呼ばれていて、海に浮かぶ城だったそうです。
明治になって周囲が埋め立てられて、海に浮かぶ城ではなくなってしまいました。
臼杵城跡の中には、臼杵藩祖稲葉良通公と歴代藩主、臼杵隊の戦死者の霊を祭祀するために建てられた臼杵護国神社(稲葉神社)と、卵寅(うとの)稲荷神社があります。
臼杵観光交流プラザ
臼杵城の『古橋口』を出た目の前の小さな信号を渡り、左斜め前に『臼杵観光交流プラザ』があります。
ここでは臼杵の情報を集めることができる施設。臼杵の案内マップなどもあり、臼杵の歴史も紹介されています。
こちらは臼杵の郷土料理の紹介。
臼杵の町のいろいろを知ることができる、ゆったりとしている雰囲気の空間でした。
旧臼杵藩主 稲葉家下屋敷
臼杵観光交流プラザから徒歩5分ほどのところに『旧臼杵藩主 稲葉家下屋敷』があります。
稲葉家下屋敷は旧稲葉家別邸と言われ、明治35年(1902年)に建築されました。
この辺りは、臼杵城の『三の丸』にあたる場所だったそうで、重臣の屋敷が連なっていたり米蔵などの重要施設があったそうです。
臼杵市立臼杵図書館
稲葉家下屋敷の隣に臼杵市立図書館があります。
図書館の左側の木造の建物があるのですが、こちらは臼杵藩の儒者の子どもとして生まれた荘田平五郎氏が寄贈した建物大正7年に建てられた建物で、子供図書館と言われるそうです。
荘田平五郎氏とは、東京海上火災保険、明治生命保険、キリンビールなどを設立し、のちに三菱の最高幹部を務めるなど日本経済の礎をつくった方。
中には荘田氏の精神『仁・義・礼・智・信』の名前を使用した部屋も配置されているとのこと。
公共の図書館ですので中にも入ることができます。
八坂神社
図書館を過ぎると八坂神社があります。
稲葉家下屋敷と図書館の前の道は、八坂神社への参道となっていて、すぐに着きます。
こちらの八坂神社は、もともと福島県いわき市鶴ヶ峰にお祀りされていたが、
源義家公の清原氏討伐の戦乱を避けるため、
船により臼杵に鎮座されたとのこと。
画像左上は八坂神社(旧祇園宮)で、地元の方々からは『祇園様』として親しまれているそうです。
【主祭神】
健速須佐之男命尊(たけはやすさのおのみこと)
奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
大国主命(おほくにぬしのみこと)
【相殿神】
丹生嶋明神(にふじまみょうじん)
菅原神(すがはらのかみ)
事代主神(ことしろぬしのかみ)
画像右上、摂社(八幡社・愛宕社)
【八幡(はちまん)社 御祭神】
応神天皇(おうじんてんのう)
宇賀御霊神(うがのみたまのかみ)
蛭子神(えびすのかみ)
【愛宕(愛宕)社 御祭神】
火産霊神(ほむすびのかみ)
加具土神(かぐつちのかみ)
大物主神(おほものぬしのかみ)
【粟島(あわしま)社 御祭神 (画像左下)】
少彦名神(すくなひこなのかみ)
【本護(ほんご)稲荷神社 御祭神 (画像右下)】
宇賀御魂神(うがのみたまのかみ)
健速須佐之男命(たけはやすさのおのかみ)
大市比賣神(おいちひめのかみ)
小手川商店
臼杵の郷土料理が食べられるお店『小手川商店』に入りました。
こちらは1861年創業の味噌・醤油醸造元が手がけるお店。
フンドーキン醤油の生みの親のお店だそうです。
飲食だけではなく、醤油やお味噌、また、味噌羊羹など、変わった逸品も販売されています。
・魚のすり身の天ぷら ・卵黄の味噌漬け ・豆腐の味噌漬け ・麦味噌汁 ・黄飯という呼ぶクチナシの実で色付けしたご飯 ・かやくと言う、エソなどの白身魚と豆腐、野菜を煮込んだ料理。 ・黄飯にかけて食べる。 ・香味に鯛味噌、山椒ちりめん、仏手柑味噌漬け(仏手柑とはカボスやユズ等と同じ香酸柑橘類の一種) ・淡雪と言う卵白で作った和菓子
を、いただき、臼杵の郷土料理のデビューとしては、堪能できたのではないかと思います。
ただ『黄飯』に『かやく』をかけて食べるとは知らず、別々に食べてしまったので、次回は一緒に食べてみようと思います。
久家の大蔵
久家の大蔵
小手川商店のほど近くにあるのが、こちら、久家の大蔵。
江戸時代末期に棟上げされた古い酒蔵。外壁や内部にポルトガルの壁画が一面に装飾されています。
トップ画像も同じで、インパクトあり、素敵な場所でした。
こちらは内部。休憩スペースのようになっていました。
浜町(はままち)の町並みと石敢當(せっかんとう)
この小手川商店や久家の大蔵がある町は浜町という地区です。
この辺りを歩くと古い昔の臼杵の町に感じる町並みを歩くことができますので、臼杵に行く際は是非、歩いてみていただきたい町並みです。
少し歩くと、とあるパーキングエリア前に『石敢當(せっかんとう)』と呼ばれる石塔がありました。
沖縄では、石敢當(いしかんとう)と呼ばれ、古代中国の武将にあやかった魔除けの石塔だそうです。
二王座歴史の道
続いて、この石敢當からすぐの『仁王座歴史の道』を歩きました。
こちらは、武家屋敷跡や、漆喰壁の古い蔵、歴史ある寺院が石畳の坂道沿いに軒を連ねています。
一方、細い路地に入ると洋風館の建物が見られるなど、臼杵に溶け込んでいる南蛮文化をここでも感じられる町となっています。
サーラ・デ・うすき
サ・ラーデ・うすきは大友宗麟時代に実在したと言われる『ノビジャド(修練院)』を模して作られた建物。
こちらの中では、臼杵の文化、南蛮文化などを展示・発信しています。
可児醤油・八町大路
サ・ラーデ・うすきがある前の道は『八町大路』と呼ばれる中央通り商店街にあたり、
食料品のお店がいろいろあります。中には飲食スペースのあるお店もあるので是非立ち寄ってみてください。
今回は、九州で最も古い創業420年以上になるという醤油商の『可児(かに)醤油』にお邪魔して、味噌ソフトクリームをいただきました。
こちらのソフトクリーム、ソフトクリーム自体は普通のソフトクリームになりますが、
そこにカリカリの味噌クランチ、さらさらの味噌パウダー、
そして、味噌とみりんと砂糖を練った味噌ソースがかかったソフトクリーム。
食の好奇心で、とにかくチャレンジしてみるのですが、目の前にすると全てが味噌で、でも中身は普通のソフトクリームで、どんな味なのかと恐る恐る食べました。
味噌クランチが思ったよりしっかりしているかたさで、味噌ソースともマッチ!
味噌ソースが結構美味しくて、ソフトクリームと合い、とても美味しい☆
発酵食品好きの方がいらっしゃったら絶対に食べてほしいと思った逸品!!
なかなか食べることはできない、美味しい逸品をいただきました。
この後、私は臼杵石仏と呼ばれる磨崖仏を見に行くのですが、場所が少し離れていますので、またこちらは別記事で投稿いたします。